小説を読むことよりも大切なこと

僕は小説を読むことよりも書くことのほうが好きだ。他人の書いた小説を読んできた時間よりも、自分の小説を書いてきた時間のほうが長いと思う。

他人の小説を一度読み始めると、読み終わるまで止まれなくなり、食事・睡眠・家事、全てがおろそかになり生活に支障をきたす。長編小説ならば、どっぷりと作品の世界に浸りたいので一日で読み終えるのが理想だ。

しかし、そんな風にたっぷりと時間のある日は滅多にやってこない。それに、丸一日ゆっくりと読む時間があったとしても、途中で自分の小説が書きたくなってしまうのが常だ。

じゃあ、小説を書きたくない時や、書くことが思いつかない時に読めばいいではないか。と思うかもしれないが、そういう時の僕は元気がない。僕の元気は「今自分がいい小説を書けているかどうか」この一点によって左右されている。なので、元気な時(本来他人の小説を読める時)は自分の小説を書きたくて仕方がないので、他人の小説を読めなくなる。書きたいことがあるのに、無理矢理他人の小説を読んでも頭に入ってこないし、下手に影響を受けてしまうのも避けたいからだ。

 

という訳で、小説を書くようになってから、他人の小説にどっぷりと浸かって読んできた記憶がほとんどない。書き始めたのが19歳くらいだったので、書き始める前に読んだ安部公房や山田詠美、三島由紀夫などの読書体験が今の僕の基礎になっている。

1月ほど前に図書館で色々と借りて読んでみたが、やはり純粋な気持ちでは読めなかった。自分の書きたいことが少しでも頭にあると、読んでいる最中に「さっさと読み終えて、自分のやつ書きたいよう…」となってしまう。ストーリーのうわべをなぞるように読んでしまい、19歳より以前に読んだ時の、純粋な気持ちでは読めない。

このままでいいのだろうか、と時々不安になってしまうが、解決策は今のところ見当たらない。綺麗な水が飲みたいだけなのに、この豚骨スープ美味しいよって言われても困るのと同じ、豚骨スープ(他人の小説)が自発的に読みたくなるまで待つしかないと今は思っている。

 

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