余韻・パサパサ・底から

10.14
台風19号が東京を去った翌々日。起き抜けから息のつまる気圧の余韻と、妙な寒気が漂っていた。コーヒーを飲んで外に出てもどこか眠たい。夕方からようやく意識が冴えてきたので、ポメラに新しい小説のメモを入力した。ポメラDM200は鉛筆よりもキーボードよりも、おそらくスマホよりも、負担なく素早く入力できる。素晴らしい製品だと改めて感じた。

DM200|デジタルメモ「ポメラ」|キングジム
デジタルメモ「ポメラ」DM200をご紹介します。株式会社キングジムの公式ウェブサイトです。

 

10.15
虫歯の治療をした。助手の人にバキュームで吸われ過ぎて、ベロがパサパサになった。夜は手ごねのハンバーグを作った。小説のメモを製造した。


10.16
図書館に行って本を借りた。どこの本屋に行っても大抵置かれていてずっと気になっていたヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んでいる。まだ途中だが、これが1906年の作品かと思うほど、現代の青年の悩みに共通するものを感じている。この時代には電車も携帯電話もインターネットもないが、同じ役割と機能を持つものが存在する。

電車=汽車・馬車鉄道
携帯電話=手紙・田舎に住む人々の思い
インターネット=村の牧師の言葉
(主人公は牧師の言葉を時に盲信してしまう)

こうやって対比すると、人が悩むという行為のスケールや重みは変わっていないように思える。勿論、携帯電話と手紙では物事を動かすスピードは随分違うが、それでも主人公が悩む速度や、悩みに対する深刻さは、僕が学生だった時と変わらないと思う。

――自分が何者にもなれない恐怖。勉強が全てであるような脅迫観念。大人を信用しない代わりに信じるものがない現状。異性や友人との間に生まれる溝。退屈な学校の風景。時々楽しくなる勉強や休み時間の雑談。釣りや散歩をしている時の充実感――

これらは車輪の下の主人公が感じていることであり、僕が主人公と同じ年頃に感じていたものと全く同じである。今でも同じだと感じる要素もあるくらいだ。
文体はやや古臭いような、硬い印象を受けるが、飽くまでサリンジャーや三島由紀夫の文体で感じる時のそれに近く、言わんとしていることは、聡明でデリケートで瑞瑞しく、時々輝いている一文に出くわす。

構成や物語が進むスピードは起承転結的で、なかなか進まないもどかしさや、時々眠気を誘う感はあるものの、小説の核はそこではない。構成やテンポは勿論大事だけれども、それよりも言わんとしていることが、作者の最も深い部分から出てきているか、これが大切なのだと感じた。車輪の下は無論、そこを核にしている。

僕も小説の構成の奇抜さや台詞の軽快さなどに注力し過ぎず、言わんとしていることが、本当に自分の底から出て来たものなのかを問いながら小説を書いていこうと思った。

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